ヒマだ。映画でも観るか。でもいったいなにを観よう。絶対失敗はできんぞ。そんなときはこのコーナーアクセスしてください。なんにもやることがない夜のおとも。ちょっと奇妙な映画紹介コーナーです。
(ライター・堀田純司)
最終回
俺の好きな映画について語らせろ『マイマイ新子と千年の魔法』その2
<前回まで>その金魚は死んでしまうのだが。しかしその金魚(ひずる)を、小川で見たという話を聞き、新子たちは懸命になって探し始める。
いかがであろう。筆者の場合は昭和40年代の大阪で新子たちの年頃を過ごしたが、たとえ国道に面して排ガスが黒く舞う通り、灰色の空の町に暮らしていても、新子たちの楽しさはよくわかる。自分もまた淀川に出掛けは魚をとり、土を掘っては基地をつくろうと懸命になったものだった。最近の子どもは、あまりそういうような感じではないのかもしれないけれど、この作品が誰にも愛されるのは、空想のファンタジーではなく、自分や自分の家族のような普通の人たちの姿が描かれるからだろう。
しかし、この作品はただ普通の人を取り上げたからだけで魅力的なのではないと思う。普通の子どもたちのはつらつとした生を、アニメーションで描いているところがすごいところなのである。「いやそれはアニメなんだからアニメで描いて当たり前だろ」と思われるであろうが、アニメであっても、絵だけでは説明しきれずに、ちょっと言葉で補ないたいこともあるだろうと思うのである。
たとえば「都会だけじゃない。田舎にもいっぱいいろんなものがあるんだよ」という場面で、緑と生命力にあふれた自然を描いて見せる。普通だったらここで、「ほらトンボ、カエルも」などというように言葉で説明してもおかしくない。むしろその方がわかりやすいかもしれない。
この映画では、タツヨシという、周囲から一目置かれている少年に対して、他の少年が少し遠慮する様子も、登場人物の演技だけで表現する。それどころか、私たちの現代の生活では希薄になってしまった身体の感覚、腕で青々と茂った草をかき分ける感触や、裸足で泥を踏みしめる心地よさまでも、そしてそもそも生命力にあふれた子どもたちの姿までも、みんなアニメーションで表現してしまうのだ。
どこかでちょっと不安になって「ほら見てみい。あのコたちの元気な様子を」「ほんまじゃのう」などと言葉で少し説明しておきたくなるのも、ごく普通の人情だと思うのだ。しかしこの作品では、みんな登場キャラクターたちの演技と画の描写で見せてしまう。ものすごい自信がなければやれないこと、というよりきっと、こうした作品は監督の元、各スタッフがみな一体になって、高い意欲でもって、ひとつひとつの表現をつくり上げたときでないと、生まれないのではないかと思う。だからこそその意欲が観る人に伝わり、さらにその感動を他の人に伝えたくなるのであろう。
ちなみに私も、私の頭を散髪してくれる若い美容師さんにお勧めしたところ、次に切りに行ったら「もう2回も観ちゃいました。いい映画をありがとうございます」と、私以上にファンになっていて、少し悔しい思いがしたぐらいであった。チラシをたくさんもらってきて、店のお客さんに勧めているという。
劇中の新子たちは、大人の世界のシビアな現実に足を踏み入れることになるが、しかし子どもの生命力は豊かである。ラストではすっかり、地元に馴染み、言葉も山口弁になった貴伊子たちの、はちきれんばかりに元気な様子が描かれ、観ている側は「ああ、よかったね!」の涙とともに、映画館を後にすることになるのだ。
最初はあははと大いに笑って、次にハラハラして、最後は、もしかしてそれが人間本来の姿なのかもしれない、子どもたちの生の活力にふれて自分も元気になる。「大人になったらいろいろあるけど、子どものころはいっぱい遊べ! そして思うぞんぶん空想しろ!」というメッセージを放つ、とても気持ちのよい作品で、私も好きである。
(終わり)
※7月23日発売決定 「マイマイ新子と千年の魔法」DVD
堀田純司氏の「今週の、DVD借りるなら、これでDO?」は今回で終了となります。長らくご愛読いただきありがとうございました。堀田氏の新連載は今夏以降に予定しております。
