ヒマだ。映画でも観るか。でもいったいなにを観よう。絶対失敗はできんぞ。そんなときはこのコーナーにアクセスしてください。なんにもやることがない夜のおとも。ちょっと奇妙な映画紹介コーナーです。
(ライター・堀田純司)
第20回 ロッキー続編論その2
(前回まで)いや、「『食人族』の場合は1983年のオリジナルからして怪しげだったろう」と思われるかもしれない(実は結構いいところがある映画なのだが)。そこで、わかりやすい例として上でも言及した「ロッキーシリーズ」の変遷を挙げてみよう。
1982年『ロッキー3』
前作はまあ、ファンの願望と制作側の需要が幸福な結婚を果たしたといえる展開だが。この辺から怪しくなる。一躍遅咲きのスターとなったロッキーはかつてのハングリー精神を失っていた。そんなロッキーは気鋭の若手と対戦し王座陥落。失意のロッキーの前にかつてのライバル、アポロが現れ、ロッキーを励ます。かつての宿敵同士は熱い友となり、ロッキーは再び栄光をつかむ。
第1作「ロッキー」の物語が、当時無名であったスタローン自身の、スターへと登りつめる道筋と重なっていたことは有名だが、ある意味「ロッキーシリーズ」中のロッキー・バルボア像も、ブレイク後のスタローン自身の歩みと軌を一にして変容していたと言える。問題はそれが途中から、映画と現実が乖離していったところであり、現実は映画のようにはうまく行かなかったようであるし、現実の裏付けが希薄になった映画も、別な裏付けを求め始めた。
1985年『ロッキー4 炎の友情』
ドルフ・ラングレン演じる旧ソ連の、ボクサー・ドラゴ。冷徹な近代的トレーニングによって超人的な肉体を持つ彼と戦って親友アポロは命を落とす。ロッキーは敵地、ソビエトに乗り込み、イメージとしてはサイボーグであったドラゴと対戦。野生の力で相手を倒す。ストーリーもそうだが、映像と音楽も派手になった。
1990年『ロッキー5 最後のドラマ』
前作でド派手路線のピークを迎え、ある意味、原点を見つめなおそうとしたかのごとき作品。アニメーションと違い、現実の俳優に依拠するキャラクター物は、俳優自身が年齢を重ねることによって、ストーリーもまた変わることが避けられない。「ロッキー」のような作品では、「007シリーズ」のように「2代目ロッキーは誰それ!」という感じで交代して、永遠に戦い続けるわけにもいかんだろうし。という訳で本作のロッキーはもはや現役をしりぞいたトレーナーであり、商業主義に毒されたかつての弟子の根性を、文字通りたたき直して見せる。
この後に2006年に、『ロッキー・ザ・ファイナル』
が公開されているのだが、こうした企画は続編としては、別シークエンスに突入したと個人的にとらえているため、ここでは言及しない。
いかがだろうか。特にシリーズ4作目の存在をもってして「初作から遠く離れてしまったシリーズ」としても揶揄されがちな作品になってしまった観もあるが(揶揄しているのは筆者だけかもしれないが)、こうして眺めると「ロッキー」がいかに幸福な作品であったかを感じる。演じる俳優とキャラクターが一体となり、しかも俳優の実人生の歩みまでそこに投影されて観る人の心を打つ作品は、なかなかないものだ。
当然、この「ロッキー」も意識したであろう、ダーレン・アロノフスキー監督の『レスラー』(2008)も同じようにすべてが一体になって胸に迫ってくる作品だった。
(次回4月12日)
