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(ライター・堀田純司)
第19回 「ロッキーのテーマ」続編論その1
筆者は映画の続編がわりと好きだ。というか続編という「現象」が好きだ。なぜ、好きかというと続編映画は、なにかどこかちょっとうさんくさいからである。筆者は生来、そうしたちょっと怪しげなものが好きである。
続編映画がうさんくさいなどというと、「なんだとうっ」とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれない。「俺は』『ロッキー5/最後のドラマ』
(1990)が、どんな作品よりも好きなんだ」という人には、ただ平身低頭して謝るしかないが、近年でこそ、『スパイダーマン』(2002)のように、最初からシリーズ化も視野に入れてつくられるスキームも確立され、『マトリックス』(1999)のように、映画で「連載」が行われることにも驚かなくなったが、一昔前には、「当たったからつくりました。第2作も当たったので次もつくりました」という、行き当たりばったりの極めて怪しげな続編映画がいっぱいあったものである。
しかも、こうしたシリーズは続編を重ねるうちに初作にあった精神はどこかに忘れ去られ、ヘタをすると"精神"などという抽象的なものはまだいいとしても、作中事実であるはずの「設定」までが改変され、どんどん怪しげ度が加速していくのが法則である。たとえば『食人族』の3作目、『食人族3 食人族VSコマンドー』
とか(って、これが実は昔の作品ではなくて2005年なのだが)。
いや、「『食人族』の場合は1983年のオリジナル
にして怪しげだったろう」と思われるかもしれない(実は結構いいところがある映画なのだが)。そこで、わかりやすい例として上でも言及した「ロッキーシリーズ」の変遷を挙げてみよう。
うらぶれたロートルボクサー、ロッキー・バルボアは、偉大なチャンピオン、アポロのかませ犬としてリングに立つことになる。掛け率は50対1。当たり前だ。
しかしロッキーは、なによりも自分自身の誇りを取り戻すために、最後まで自分がリング立ち続けることを誓う。
彼が一方的ななぶりものになると思われた試合は最後までもつれ、ついに判定にまで持ち込まれた。判定の結果、試合の勝者はアポロであるとされたが、ロッキーの戦いを観た人々は、ロッキーこそが真のヒーローであると讃えたのであった。
