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(ライター・堀田純司)
第17回ゾンビ映画クロニクル その7
だが、ロメロにとってこの映画の意図は、近年、登場してきた新たな「画」に映画人として向き合うことだったのではないかと思う。
映画の材質はいうまでもなく「画」である。この「画」について、近年は新たな「画」が登場し、今までにはなかったインパクトを与えている。現代ではアマチュアでもかんたんにハイヴィジョンムービーが撮影できるし、その一方で、携帯のムービーのように、チープで解像度が荒くても、そこに独特の生々しさがある映像も目にする。ニュースなどで観る監視カメラの映像は、コマ落ちっぽい映像と極端な画角が、かえって衝撃的である。PCの画面のメディアプレーヤーでは、既存メディアでは放映されなかった、生の残虐映像が映し出される。こうした新しい「画」の魅力を映画の中に取り込んでみようとする試み、それが『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』なのだ。
これはたぶん筆者のむやみな深読みではないと思う。いや......、そう考える根拠は希薄なのだが、映画の中で、わざわざカメラの機種品番まで細かく言及されていた。そこにはベテランの映画人として、「アマチュアでも、手軽にハイヴィジョンで撮影できる」現代への感嘆があるように感じられる。実際、筆者の知り合いの動画カメラマンも、アマチュアでも買えるハイヴィジョンカメラが登場したときは「えらい時代になった」と感動していたものである。このあたりは洋の東西や映画人のキャリアを問わず、プロの映像制作者として共通の思いではないか。
ハイヴィジョン、携帯動画、監視カメラ。そしてそれらが投稿され、映し出されるPCのモニター。さまざまなインパクトを放つこれらの映像を、映画に取り込もうとする試みにあたって、ゾンビは確かに素晴らしい「撮影対象」である。そりゃあ、突如、世界中にゾンビが現れて人を襲い始めたら、みんな必死になって撮影してがんがんネットにアップするだろうからだ。
しかし言い方を変えると、この『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』においては、ゾンビを描くことは、「いろんな映像を取り込む」手段であって、目的ではないことになる。確かにロメロの映画は今までも、単なるバカゾンビ映画ではなかったが、そうはいってもやはり"ゾンビマスター"。ロメロにとってゾンビを描くことは、「目的」であり、あのヌメヌメとか、フラフラした動きとかを描写することが大好きな人なのだろうと思っていたので、ここは少し意外であった。そのため、この映画では定番ゾンビ描写も控えめで、ここも伝統的ゾンビ映画ファンには食い足りないところがあるかもしれない。しかしロメロの、大ベテランにして新たな試みに挑戦しようとする姿勢に接することができる映画でもあり、そこは楽しい作品である。
さらに次の『サバイバル・オブ・ザ・デッド』だって観るぜ、という人は、「これはちょっと違うから」といって見落とさないのが、お薦めである。まあ、そんな人は、きっともうすでに観ていると思うのだが。〈続く〉
(次回3月1日)
