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(ライター・堀田純司)
第12回 ゾンビ映画クロニクル その2
『ZOMBIO/死霊のしたたり』には、死と生の秘密を解き明かしたという研究者、ハーバート・ウェストが開発した、死者の蘇生薬が登場。その薬で甦った死者が自分の生首を抱えて、美女の股間に差し出すなど、とんでもない異形の大混乱が巻き起こる怪作である。
だが、死者の蘇生には例の薬が必需で(えらく簡単にスポスポスポと薬を乱発するのだが)、死者に襲われただけでは"孫ゾンビ"は誕生しないし、その騒動は限定状況の中で行われる。
他の作品を観ても、恐らくブライアン・ユズナやスチュワート・ゴードンは、限定状況の中での途方もない混沌にこそ「萌え」を感じるのであろう。
この映画にはゾンビ映画が持つパニック的な要素のほうは扱われないので、だからちょっと違うと思っている。
この映画の原作はラブクラフト。20世紀の初頭である。原作小説も筆者が大学生のころに読んだはずなのだが、この映画を観てもさっぱり思い出せない。断じて、元の小説はこのような大混沌大混乱作品ではなかったのに違いない。
という訳で、筆者はゾンビ映画のゾンビ映画たるゆえんは、その感染力にあると思っているのだが、これには読者の皆様も同意していただけるのではないだろうか。
感染力が高いからこそ、ゾンビの出現は一夜にして世界の姿を変え、文明の脆弱さを私たちに突きつける。一瞬のミスが命取りになり、自分自身がゾンビになってしまうという恐怖を味わう。そして家族や恋人、友人がゾンビと化し、大切に思うからこそこの手で始末しなければならないというゾンビ映画ならではのドラマが生まれるのである。
このものすごい設定を、1968年の映画、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』で生み出した監督のジョージ・A・ロメロが広く尊敬されているのも、もっともなことである。
もちろん1968年の当時に、すでにロメロが「オオ、ゾンビハ、ブンメイトイウモノノモロサヲ、ミルモノニツキツケマース」と思っていたのかどうかは、定かではない。
しかし1968年の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は、ローカルな事件ではあったが、すでにそこでも極限状況の中で人間のモラルが問われていた。
1978年の大ヒット映画『ゾンビ』ではさらに大都市が舞台。社会秩序は崩壊し、蛮族と化した集団や、異常な状況に直面し狂気にとりつかれた警官が描かれ、ゾンビを題材にしたからこそ浮き彫りにされる人間の姿がそこにあった。やはり、ゾンビの設定が持つ可能性について、自覚的なつくり手だったのだと思う。
(次回1月18日)
