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(ライター・堀田純司)
第11回 ゾンビ映画クロニクル その1
ゾンビというものは不思議なもので、元は西インド諸島のローカルな伝説だったものなのに今や、映画界の花形。他のモンスターのスター(ダジャレにあらず)、ドラキュラやフランケンシュタインよりも、"ジャンルとしての結束力"は固いように見える。
もっともこれにはカラクリがあって、単体で出てくる限りドラキュラはドラキュラ。フランケンシュタインはフランケンシュタインなのだが、もし彼らが強い感染力を持っていて「やたら彼らの仲間になる」という設定で登場し、大量に群れをなして襲ってきたとしたら、それはもはやドラキュラやフランケンシュタインの映画ではなく「ゾンビ映画」になってしまうという、ずるいというか懐の広い設定を、ゾンビは持っている。
逆にいうと、ゾンビ映画をゾンビ映画たらしめる要素は、死人が甦ることでもなく、肉をむさぼり食うことでもなく、強烈な感染力と、本能のままに群れをなして襲ってくるところにあるといえる。
実際、例をあげると1989年の映画『ペット・セメタリー』は死者の蘇りを中心に扱う映画だが、この作品をゾンビ映画として観るゾンビ映画ファンは少ない。
この映画はスティーブン・キングの小説が原作。愛する者を失い、それを再び取り戻そうとする家族が、禁断の領域に踏み込む姿が描かれたとても怖く悲しい映画だが、大挙してゾンビが襲ってくるようなバカっぽい場面は登場しない。
むしろ全編を陰鬱な雰囲気が覆い、ホラーの名作として知られている。単体としてはものすごく正統的なゾンビ像が出てくるのに、あまりゾンビ映画という文脈では語られない。
もうひとつ例をあげると1985年の『ZOMBIO/死霊のしたたり』という映画がある。こちらのほうはタイトルからしてゾンビ映画だし、日本タイトルからして、映画会社もゾンビ映画として売り出す気まんまん。製作はブライアン・ユズナ、監督はスチュアート・ゴードンと両者ともカルトホラー界のスター。実際、「ファンもゾンビ映画扱いしているじゃないか」と思われ方もいらっしゃるだろうが、確かにその通りなのだが、ゾンビ映画原理主義を持ち出すと、この映画は一点でちょっと異なる。登場する蘇生者の、感染力が低いのである。
(次回1月11日)
