ヒマだ。映画でも観るか。でもいったいなにを観よう。絶対失敗はできんぞ。そんなときはこのコーナーにアクセスしてください。なんにもやることがない夜のおとも。ちょっと奇妙な映画紹介コーナーです!
(ライター・堀田純司)
●「ユビキタス化するツンデレ その4」
リナ・ウェルトミューラー『流されて2』1987年
〈!--《前回の続き》ガイ・リッチー版、『スウェプト・アウェイ』のオリジナル作品『流されて』('74)には、同じ監督リナ・ウェルトミューラーによる姉妹作品がありました。これがこれから、ご紹介する『流されて2』('87)です。--〉
今週ご紹介するのは、リナ・ウェルトミューラー監督による映画『流されて2』('87)です。タイトルだけ観るとこれは、無人島に漂着した高慢な上流婦人と無骨な水夫を描いた映画『流されて』('74)の続編のように思えますが、これは日本市場での話。新作を売り出すにあたって、その監督のもっとも有名なタイトルである『流されて』を持ってきて"2"とつけたものでした。この映画の原題は『Notte D'estate con Profilo GrecoOcchi a Mandorla e Odoredi Basilico』。これはgoo映画によると"ギリシャ人の横顔とアーモンドの形をした目、そしてバジリコの香りのする夏の夜"という意味だそうです。ちょっとおしゃれ過ぎて、その意味でも改題は正解だったかもしれませんね。
しかしこの『2』においても、『流されて』にあった「孤島に男女」という設定は共通しています。こちらでは過激派のリーダーで、富裕層を対象にした誘拐を繰り返してきたジュゼッペを、環境ビジネスで成功した女傑経営者が逆に誘拐。自身が所有する島に監禁し、組織に身代金を要求するという設定。この女傑は「攻撃的なところもあるが、すこぶる魅力的」(作中のセリフより)でした。その女傑がジュゼッペのもとを訪れ、直接、身代金の交渉を行います。しかしシチリア島出身のジュゼッペはワイルドな野獣。男の誇りと魅力を見せつけて簡単には屈しません。その姿に女傑はやがて惹かれて行きます。誘拐の被害者が、誘拐犯に親密な感情を抱いてしまうことをストックホルム症候群と呼びますが、これはその逆ですね。
この映画の見どころはやはり女傑の肢体と、そしてそれ以上に彼女の、ジュゼッペをなぶり罵倒する長ゼリフでしょう。イタリアではかつて反体制組織によるテロや、富裕者や権力者の誘拐が多発していましたが(NATOのアメリカ人将官が誘拐されたこともあった)、そうした当時の社会の状況を踏まえて、彼女は「支配者の力を見せつけてやる。立て万国の資本家よ。おほほほ」などと大演説を繰り返します。並みの人間ならば、金髪の田中真紀子さんみたいな人にダミ声で長々と説教されて、非常に耐え難い思いをするところですが、逆に思いあがったおばはんにダミ声で説教されたいという願望をお持ちの方ならば、ここはきっとウットリとされることでしょう(実はもう一方のジュゼッペのほうも単なる不摂生な中年男性にしか見えないという噂もあるのですが)。
実際、彼女に罵倒されてばっかりだった彼女の右腕の中年男性は「彼女の悪口には愛が感じられる」などとワケのわからぬことをいい出し、最後には告白までしていました。
こうした「罵倒萌え」についてつくり手が自覚的であった証拠に、この映画では最後まで執拗に、女傑の罵倒で終わります。サービスカットならぬサービス罵倒とでも言いましょうか。正直、筆者などにはキツイものがありましたが、中年女性経営者に激しくののしってもらいたいという願望をお持ちの方には貴重な映画ですのでお勧めです。そうでない方には、それなりにお勧めします。
しかしリナ・ウェルトミューラーといえば女性としてはじめてアカデミー賞にノミネートされた監督。映画で言及される、富裕者層へのテロが横行するイタリア社会の姿は興味深いものがあります。ですがそうした背景も、社会派としてそれ自体がテーマというよりは「女主人がワイルドな男を召使として支配して、それから支配されたい」という、ややこしい欲望を描くために用いられた舞台装置にしかすぎないようにも感じられますが......。複雑な女性の欲望の前には、男の欲望なぞシンプルで起伏を欠いたものにしか映りませんね。
いかにもオタク文化発の概念らしい「ツンデレ」ですが、しかしもともと洋の東西を問わず好まれるキャラクター設定であり、いろいろな作品にツンデレは見られます。次回は、歴史大作におけるツンデレを取り上げます。
(次回11月16日)
