ヒマだ。映画でも観るか。でもいったいなにを観よう。絶対失敗はできんぞ。そんなときはこのコーナーにアクセスしてください。なんにもやることがない夜のおとも。ちょっと奇妙な映画紹介コーナーです!
<!--《前回の続き》事実、実は主演がマドンナだとは知らなかった筆者などは、エンドクレジットを見るまで「なぜこの人がこんなに偉そうなのだろうと」ずっと怪訝に感じていたものです。-->
そしてそのため、いまひとつ登場人物のドラマが共感できませんでした。なぜなら見ようによってはジュゼッペが、「熟女マニアの変人」にしか見えなかったのです。
こういうときは、周囲の人間に「おお、いいオンナだぜ。見てみな、あの臀部を」「ふるいつきたくなるぜ、ウッヒョー」「一晩でもお相手してもらいたいもんだな。バカおまえなんか相手するもんか。メンドリでも抱いてろ」などと少し過剰気味に言わせるよう、"説明セリフ"を台本に書き込んでおいてくれるとこちらは助かります。観る方も「ああ映画内では美人なのだな」とつくり手の意図を察して観ることができるのですが、やはり相手がマドンナでは、そうしたわかりやすい手法ははばかられたのでしょうか。
多少は、説明セリフもあったように思いますが、どうもいまひとつ熱意に欠け、お義理で言っているようにしか響かなかったような気がしました。
ちょっとこの作品とメンタリティーで似たところのある、ポール・バーホーベンの映画『氷の微笑』('92)では、官能的な、美貌の女流作家に、まだ無名だったシャロン・ストーンを起用。成功を得ました。ガイ・リッチーも同じように、中年の官能的な女優を発掘していたら喝采をよせられていたことでしょう。しかし恋人を主役にすえたリッチーに浴びせられたのは「公私混同」との批判でした。
......なんだか、けなしてばかりいるようですが、そうではないのです。極東の、キャラクター文化が盛んなこの国の住人としては、ガイ・リッチーの気持ちがよくわかるのでした。彼は要するに、「ツンデレ」の人なのです。この『スウェプト・アウェイ』は、彼の「オレはツンデレだ。ツンデレが好きなんだ」というツンデレ宣言としては、実に誠実であり、アンバー前半の驕慢描写(ツン)と、後半の服従(デレ)の表現は、とても濃厚です。そこにつくり手の本気を感じますので、ガイ・リッチーと同じく「ツンデレという病い」をお持ちの方は、そういう視点で観てみるとよろしいと思います。
まっ、「俺はこんな女が好きなんだ」というイマジネーションをフィルムに投影するのが創作においては大切で、問題は「俺はこんな女が好きで、手に入れたぞ。みんな観てくれ」というフィルムをつくられても......というところにあったのかもしれません。
しかも残念なことに、ガイ・リッチーとマドンナは2008年に離婚してしまいました。
2回にわたって「ツンデレ礼賛作品としては面白い」と「スウェプトアウェイ」をご紹介しました。しかしそもそも「ツンデレってなに?」という読者もいらっしゃることでしょう。次回はその説明を。
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